先日の久美子3年生編の放送決定のニュースに釣られてもう一度「響け!ユーフォニアム」を見直しています。ということでこの作品の魅力について改めて考えてみたいと思います。(ネタバレが含まれますのでご注意ください)今回はまず第一回「ようこそハイスクール」と第二回「よろしくユーフォニアム」を。
物語冒頭は主人公の久美子の回想シーンから。中学時代の吹奏楽部でコンクールにでたときの成績発表。久美子の中学は京都府大会で金をとりますが、つぎの関西大会には出場できない「だめ金」でした。久美子は金を取ったことでとりあず満足しています。でも隣に座っていた少女(麗奈)は泣いていたので、久美子は思わず「ほんとに全国いけると思っていたの?」と言ってしまいます。麗奈はキッと久美子を睨んで「悔しくて死にそう」と叫びます。この言葉がこのあと物語の重要なキーフレームになっていきます。
そして軽快な音楽とともにオープニングスタート。冒頭は主要登場人物の紹介。その紹介の仕方はまさに「けーおん!」そのもの。おじさんにはちょっと気恥ずかしい明るい雰囲気から、やがて京都コンサートホールでの吹奏楽シーンになって、最後に吹奏楽のメッカ名古屋国際会議場センチュリーホールが登場して終わります。この物語のゴールを極めて明快に示すオープニングです。
オープニングが終わると久美子が桜の中を登校するシーン。桜が舞い散る路(おそらく平等院の裏の路)の中を歩く姿がとても印象的ですが、ここから他のアニメとの違いを感じます。カメラの被写解深度(ピントが合う範囲)が異常に狭くて、久美子のまわり以外はかなりボケています。この被写解深度の浅さはこの作品の特徴ですが、冒頭からかなり強調されています。
もともと京アニのアニメは「氷菓」のころから被写解深度を浅めにして立体感をだしています。でもこの作品はそれよりもはるかに深度が浅くて、フルサイズの一眼カメラで動画を撮影しているイメージに近い表現です。このあとに作られたヴァイオレットエヴァーガーデンではこれほど浅くないので、この浅さは単に流行りというよりはもっと積極的な意味があるように思えます。あるブログではこの浅さは青春特有の視野の狭さを表しているのではないかというような考察がありましたが、同意見です。主人公たちに関心のあるものにフォーカスをあてて青春時代の純粋な思いを表しているように感じます。
久美子はいろいろリセットしたかったので、中学時代の多くの友達がいる学校とはあえて違う学校に進学しています。そして校門で吹奏楽部の新人勧誘の演奏を聞くことになります。このときに久美子と麗奈以外の登場人物として3年生の田中あすかが登場します。最初はそのことになにも意味を感じませんでしたが、シーズン2の最終話でこの田中あすかと最後の会話をすることで、この物語の設計図が見えてくるのですが、それは23話先の話です。
久美子はいろいろとリセットしようと思っていたので吹奏楽部にはいろうかどうしようか迷いますが、新しく友達になった葉月と緑輝にも誘われて入部を決意します。そこに麗奈も入部希望者として現れます。でも久美子はコンクールでの一件が気になっていてなんとなく麗奈を避けてしまいます。
第一話はここまでですが、とにかく印象的だったのは人物の動きや手や指の描写の繊細さなど作画の美しさです。ストーリーはまだ展開していませんが、とにかく第一話は作画の美しさだけで惹きつけられました。
第二話ではいよいよ1年生の担当楽器が決まります。初心者の葉月はチューバ、経験者の緑輝はコントラバスに。久美子は中学でユーフォニアムを吹いていましたが、それほど好きという自覚がなかったのでトロンボーンをやりたいと言っていましたが、結局ユーフォニアムに決定。そして麗奈はトランペット。
この第二話までは結構コミカルな表現が多くて、久美子が麗奈に対してもやもやした感情をもったまま悶々としていることもあって初めてみた時は、単なる学園コメディーなのかな?と思って見るのをやめようか悩んだことを思い出しました。
第二話の終わりには新任の滝先生が登場します。優男風でやさしいのかと思うと、いきなり部の目的を「全国大会に行く」のか「楽しく音楽をする」のかどちらかにみんなで決めろと言います。部長が多数決を取った結果「全国大会」に行くことを目的にすることになりますが、久美子は結局どちらにも手をあげられませんでした。そしてこういうことを子供達にきめさせる大人ってずるい気がすると言うのでした。。。
第二話までで主要な登場人物は全て登場し、そして久美子たちの登下校を描くことで宇治川沿いの主な風景や京阪電車などが描写されみんながどんなところで生活しているかがわかります。部の目標も定まりここからストーリーが展開していくことになります。