昨日見てきた(ちょっと一筋縄ではいかない)シン・ウルトラマンを少し考えてみました。ネタバレがありますのでまだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。
シン・ゴジラは一種の政治シミュレーション映画という雰囲気で話は進み、最後は自衛隊の決死の活動でゴジラを凍結するという一般人にもとてもわかりやすいストーリー展開で大ヒットしました。
シン・ウルトラマンはちょっと雰囲気が違います。セリフまわしからして明らかにリアルさよりも滑稽さを強調していてリアル路線でないことがすぐにわかります。まあたしかにウルトラマンをリアルにするのは無理があるということでしょう。正直、ストーリー展開は普通の映画として面白いのかというとちょっと微妙です。
連続テレビドラマをベースにした作品であるせいもあって、映画はひとつの大きなストーリーというよりは4つのストーリーの集合体のような感じです。
まずはじめに導入部があって、科特隊、いや禍特対の成立からウルトラマンの登場までが紹介されます。ウルトラQへのオマージュがふんだんにあったあと、銀色のウルトラマンが登場してみんな驚くところまではとても緊迫感もありそのあとの展開に期待させるものがありました。
そしてザラブ星人が登場。オリジナルでも地球人の友人のふりをして科特隊の本部にはいってきてコンピュータを麻痺させたりしていましたが、本作でも多少現代風にアレンジして登場して笑いを誘います。
次のメフィラス星人あたりからちょっと話の展開が停滞しはじめます。オリジナルのメフィラス星人は地球の少年を捕まえて地球をわたすように脅迫しますが、少年がそれを拒否する展開で、子供心にすごく感動した話でした。それを大幅に改変して日本政府との交渉をするのですが、正直ちょっと捻りすぎな。。。(隣で見ている子供もこのへんから退屈しだしていました。)
ただメフィラス星人が地球人の姿をしているときは山本耕史が演じていて、その怪演ぶりはなかなか面白かったです。ウルトラマンの斎藤工と飲み屋でいっぱいなどのシーンはちゃぶ台をはさんでウルトラセブンと対話したメトロン星人を思い出させます。
最後はゼットンとの対決。あのゼットンの形をした超巨大兵器で1兆度の火の玉で太陽系を破壊できるというものでした。そしてそれは人間をこのままにしておくと危険だということでM78星雲の光の国から送られてきました。地球人より進化した宇宙人が地球人を助けるかどうかを評価して、だめだったら破壊してしまうというコンセプトはさまざまな漫画、アニメで用いられてきています。手塚治虫のW3(ワンダースリー)、横山光輝のマーズなどなど。見ながら「ああ、そうきたか」とちょっと感心しました。また途中、科学者の滝がぼくらは無力だといじけるシーンがあって、先日亡くなったイデ隊員へのオマージュも感じられました。
ゼットンとの戦いの最後から話の終わりまでは、オリジナルウルトラマンの最後のゾフィーとウルトラマンの対話の名シーン(子供の頃なんど真似をしてみたことか・・・)に庵野さんの商業作品の初監督作「トップをねらえ」のエッセンスを加えたもので思わずニヤリ。このへんはまた明日。