銀河英雄伝説とは田中芳樹原作のSF小説で、基本的には未来の歴史を振り返って書くスタイルで本伝は全10冊で描かれています。司馬遼太郎が銀河を舞台にした戦いの歴史を書いたような筆致で、1982年に第1巻がでていますので、今年でちょうど40周年ということになります。
この大作SFを1990年台に石黒監督(宇宙戦艦ヤマト、超時空要塞マクロスなど)が全110話の壮大なアニメにしました。むずかしいセリフもほとんどそのままで重厚なクラシックにのせて描き切ったこのアニメはかなり原作の雰囲気をうまく再現していて、私もレーザーディスクで全巻そろえて、何度も何度も見返しました。
最近、それがDie Neue Theseというサブタイルをつけてリメークがスタートしています。順調に制作が進んでいまは原作の3〜4巻くらいのところでしょうか。実は初めてDie Neue Theseを見たとき多くのキャラクターがあまりにも幼く見えてちょっと違和感があって一度見ただけで終わっていました。
最近、人にこのアニメを薦めたこともあって、もう一度このDie Neue Theseを見てみました。改めてみると新キャラクターにもだいぶなれてきて、戦闘シーンもCGで相当充実していることもあって、意外と悪くないな、とちょっと印象を改めました。
でもやっぱりどうしても軽く見えると感じることが多いのは事実です。どこが違うのかというと演出の違いにあると感じます。
旧銀英伝の第一期(原作の1,2巻)で一番印象に残るのは、ちょっと意外かもしれませんが、華々しい宇宙戦闘ではなく、クーデターが起こった首都星で抗議集会に対する武力鎮圧のシーンです。
戒厳令下で主人公ヤンウエンリーの旧友のジェシカエドワーズが野党議員として市民をスタジアムに集めてクーデター派に対して抗議をするのですが、結果として武力衝突が起こってしまい多くの死者がでてしまいます。一貫して民主主義とはなにか?を問いかけている原作でも重要なパートです。ここの演出を新旧で比較してみましょう。
Die Neue Theseのジェシカはまず動員が成功したことに対してニッコリと笑って「新しい時代がはじまる」とよろこびます。まずこれが大きな違和感です。おそらくDie Neue Theseのスタッフは若い人なので戒厳令がどういうものかをあまりイメージできていないのでしょう。戒厳令下で反対集会をするのは当然軍部の怒りを買うので命懸けです。そこで明るく笑うのは、いかにジェシカに勇気があると言っても、違和感があります。
そしてジェシカは乱入してきた軍人に抗議したことで撲殺されてしまい、それを契機に暴動が発生します。旧シリーズではジェシカは声を張り上げてスタジアムの群衆に聞こえるように軍人に抗議します。ジェシカの抗議の怒声にスタジアムの群衆も呼応して怒りを表しています。見ているほうもいったいこのあとどうなるのだろうと大きな不安でいっぱいになり、そして不安が現実になってしまいます。
でもDie Neue Theseのジェシカの抗議は軍人と1対1の会話をしているようで旧シリーズの緊迫感がありません。なぜこんなところを変えてしまったのか?新シリーズのスタッフは宇宙船をCGで書くことに興味がいっていて、このシーンにはあまり思い入れはなかったのかなと思わざるをえません。
実はそれはタイトルに表れています。旧シリーズでは「ドーリア星域会戦、そして…」となっているのに対してDie Neue Theseでは「ドーリア星域の会戦」です。(もちろん旧シリーズの「そして…」はこのスタジアムでの悲劇を表しています。)
しかし、もちろんDie Neue Theseには旧シリーズよりも良い点はたくさんあります。Die Neue Theseはまだまだ続くのでぜひ演出も進化していくことを願っています。